常磐誌の刊行
56年9月1日観音寺市文化協会会長西田光三郎著 常磐誌「監修を終えて」の冒頭
常磐村には、大正の末期に常磐村誌という毛筆書きの記録集が1冊あった。これは三豊郡史編纂のための資料集といったもので、一般には公開されていなかった。この資料を基にして、その後の常磐地区の社会や文化の動きを加え、現代的な史書の体裁で復刻してみてはという計画を常磐文化部員の間で話しあったのは、つい数年前のことである。計画がいよいよ具体化し、昭和54年、当時常磐公民館運営協力委員会会長渋谷一馬氏の名で別記11名の編集委員が委嘱され、委員はそれぞれ専門の分野で資料を担当し、毎月定例日を設け、3年間事務の連絡を計った。
編集委員(五十音順:敬称略)大宮敏彦 岡田勝彦 長船騰 渋谷一馬 島一雄 杉本一高 田井剛 高橋岩雄 西田光三郎 林将一 三野正夫
「発刊のことば」は、当時の常磐公民館運営協力委員会会長 嶋田彦一氏
常磐地区公民館運営協力委員会の偉業達成は、常磐誌そのものが語り継いでいる。