平安末から鎌倉初期の一般庶民では単に棄てていて、中世摂関家ですら埋めている場所すら分からない状態で詣り墓で追善供養していたとの記録があり、その後、放置されてた死体が病原菌の巣となり疫病の源と解ってきて埋めるという衛生感覚が生まれたようです。その後、長い時を経て、宗教が死への恐れとか穢れの感覚を整理し、それぞれの土地の自然条件なども加わり、様々な埋葬文化を育んできたものと思います。
埋葬(土葬)文化は、現代に至って、遠い過去のものになりました。ですが、現代の火葬と式場を中心として執り行われる葬儀は、古く長い埋葬文化時代の習わしを基本に据えられています。習わしの意味などを知っておくことは、参列者への接遇を確かなものとするなど意義深いものです。また、変り行く儀式への理解にもつながります。
現代、数年前のある御通夜でその葬儀ご担当の寺院さんより講話を受けました。講話は、葬儀礼状に「お浄めの塩」を付けないと説明があり、それは現世も死後の世界も境界がなく、亡くなられた方も常に一緒ですよ、と言う般若心経に理由があるとのことでした。私としても、仏教の思想は、「色即是空、空即是色」の般若心経に意味される処に究極されることを承知していたこともあり、「お清めの塩」を除くことは、思想と儀式とを整合させることだと妙に感心しました。また、同時に、埋葬時代の衛生的な「死体の穢れ」が火葬によって解消されつつあり、「死の穢れ」への感覚が変化しているのだと思います。