水利組合とは
一般に、水利組合とのトラブルが散見されます。例えば、転居してきて水利費を請求されたが、転居前の地域では水利費も水利組合も存在しなかった。建築確認申請のため、水利組合に同意書提出を求めたが、賦課金の請求がありこれが納得できない。浄化槽の放流負担金を争った裁判の判例では、土地改良区が敗訴している。等々、・・・よって回答を示します。
先ずは次項の「水利組合の歴史」を一読し、ここに戻って来て下さい。
どうですか。水利行政の根拠を為した法律の変遷と我が国を支えた農政の一旦がお分かりと思います。然し、問題は、法令上の組織と上記の様なトラブルの相手方となった地元水利組合のイメージが一致しない、という事でしょう。
「水利組合の歴史」の記載は明治13年区町村会法からですが、農業集落において灌漑用水を扱うためには、その地場(じば)に自治があるのは容易に想像できると思います。利水に関する自治組織が即ち水利組合と考えて下さい。つまり、原始的な各地場の水利組合は、遙か昔から存在していて、その実情を行政が法律化し統括を開始したのが、明治13年です。以降、今日の土地改良法に至り、同法に基づいて各地に設立されている法人格の土地改良区は、現在も必要不可欠な事業を運営し着実な実績を挙げています。そして、ここからですが、土地改良区の構成員は農地耕作者の全員ということ、これが理解のポイントです。つまり、行政的には限定された地域でも、構成員の数は利害調整単位としては圧倒的に多く、その姿のままでは意見集約出来ず組織が成り立ちません。一方で、同じ農地耕作者による各地場の水利組合が存在していましたから、土地改良区は、地域内の各水利組合を集約する実態を為すことによって地域内農地耕作者全員を構成員としているという論理構造を持つに至っています。
組合は、生活慣行によって組織された法制の根拠なき任意団体ですが、歴史的に重要な役割を担っていた各地場水利組合は、「法律と共に変遷をみた法制の上位組織」を構成し続ける存在、言い換えればその時々の末端組織だと言えます。
この様に法制上の上位組織を実態的に構成する地場水利組合は、上位組織の運営規定に基づいて地場において実働します。県単位の利水コストなどを含む水利費・賦課金などは更に上の行政組織との合意形成を含む規定に基づきます。また同組合は、上位規定による実働に併せて、地場固有の池守・堰守・井出浚え等の歴史的慣行を引き継いだ仕事も行います。この慣行を引き継いだ部分は、各水利組合独自の特色ですから組合別にルールが微妙に異なります。この辺で、水利組合の世話役が第三者に対し、慣行事由を超える様な合理的な説明根拠を持ち難い事に気づかれると思います。以上の記述で一般の方々が持つイメージに合致したのではないかと思います。
尚、地域によって、本当に市街地の水路の全てが、県道とか市道の側溝に変り、一般行政のみの管理下に変遷している場合もあります。又、この様な環境に近い土地改良区が、行政から受任した水路を排他的に占有して管理する実態を論拠に、法律になっていない放流負担金について、法律世界の最高峰である裁判で争ってはかないません。このことは後記の最高裁判例のことですが、高裁では土地改良区勝訴なのです。やはり歴史上の功績が大きいことを気づかされ、逆転には時代の変化を警告された様に感じます。
農業施設維持への啓蒙が必要
次は、内側に目を向けて記載します。
水利組合は、既往インフラについて、将来に向けても重く管理責任を負う。
かかる観点から考えます。
1980年著作「第三の波」アルビン・トフラーをご記憶か、農業革命は数千年、産業文明は300年の展開であった、と。地元にあった水路などは、つい近年まで草に覆われていて、それが重要な灌漑水路として農業を支えました。農業は、悠久の自然をイメージさせる環境の中に永く在りました。それが急速に市街化したのは大きな変化ですが歴史的には極、最近の変化です。後述の農業施設管理の質量の大きさからも、将来を考えるには、少なくとも百年を単位とした長期を対象にせねばなりません。
集落一帯の、土の道と水路を現況の様に舗装し三面コンクリートにしたのは、ほぼ農業予算です。その農業予算というのは、該当の事業費の一定率を補助金とし公費負担しますが、それ以外は受益者負担と言って、該当の工事によって使用収益を享受するところの「田、畑」の面積割にて工事費を負担します。つまり農地所有者(又は耕作者)が分担します。ここで更に詳しくします。地場(じば)単位水利組合のみで、該当事業を起案し予算を確保し事業化できればそれで良いのですが、多数競合する単位水利組合の案件調整をしなければ予算秩序を保てません。また個別事業完了後の全体施設維持管理、或は換地処分を伴う土地改良事業等ともなると単位水利組合のみでは実行が困難です。この為、農政は、土地改良法を定め地域行政規模の農地耕作者全員を構成員とした土地改良区を設立しています。要するにここでは、地場単位水利組合は、土地改良区を組織し、その土地改良区を各種事業の「施主」としていると言えます。そして、農地所有者(又は耕作者)が拠出した受益者負担金は、単位組合を通じて「施主」である地域土地改良区に納付され該当の工事費等の事業費として支払い充当されます。これが重要なポイントです。施主が支払い充当すれば、その部分は「施主」の資産という事になります。土地改良区事業として整備された道路舗装とか水路は、支払い充当された部分について、土地改良区が所有権を持ちます。一般にはこの所有権持分について中々気づかないのです。市街化の進展と共に、かつての農用水路には生活排水が流れるようになり、更に、公共下水道の敷設と農地減少が進みつつあるため「土地改良区の資産」を一般には想像し難くなるのも無理はありません。
そして次に言える事は、この所有権には管理責任を伴うという事です。当地に見ても或は全国に目を移しても、その管理質量は膨大であり、農政以外の担い手はいません。むしろ社会インフラ維持として環境保全として今後の農政に重責として迫るのです。
物質的な管理質量に対して、人的な意識の面では、一部世間の不見識に影響され、将来に自信を無くする空気があります。これが蔓延する場合と、発展的に制度維持する方向で意思を集結できるのとでは、将来性が大きく変わります。農業関係者であるとすれば、水利組合の歴史的な意義と今の有り様を一般に公表し広く理解を求めることが必要です。そういった姿勢、それだけでも発展的な改善を得られるかも知れません。